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2009.3.11 試練

Posted by 小瀧真人 on 11.2009 未分類   7 comments   0 trackback
こんばんは。
今日は、午前中にある社長様とお会いした。
忙しい中、迷惑を掛けぬよう10~20分で切り上げようと思いながらも、お言葉に甘え、一時間以上話してしまった。

話は逸れるが、私は、先週末から昨日にかけて、私の僅かながらの経験の中ではあるが、今までの私の人生で最大級レベルの”どん底”を経験した。
仕事の面で、精神的・肉体的にかなりの疲労が溜まっていた状況だった為、さすがに弱ってしまった。
日頃から家族や友人より”前向き””プラス思考””能天気”と言われていた私も、さすがに今回ばかりはヘコみまくり。
仕事の事、プライベートな事、何もかもが重なってしまった。
しかし、原因は全て私にある。 二言も無い。 私が悪い。
プライベートな内容なので、控えさせて頂くが、そんな状況の中、仕事とプライベートをわきまえなくてはいけないと、車の中で大きく深呼吸。「よし!」と気合を入れ直し、私はある社長様のもとへ。

約束の5分前という時間に訪問してしまったにも関わらず、あわてる事無く、落ち着いた仕草で、初対面の私を応接室に連れて行ってくださった。

私の自己紹介から始まり、社長様の豊富な経験のお話・・・
そして、その社長様は、何度もかかってくる携帯電話に出る際に、私に「ごめんね。」と細やかなお気遣いをしてくださる。
「素敵なお方だ。」と思いながら話をしていると、少々緊張気味の私の固い態度をほぐしてくれるように面白い冗談を交えながら話してくださるその内容は、全て、けたが違う。
ビジネスとしての利益、損益のお話はもちろんだが、経験も半端ではない。
決して格好をつけて話している訳ではない。
その気取らない”生きた”一言一言は、豊富な経験・実績に裏付けられている。

私の存在など、アリのようなものだ(笑)。

その貴重な一時間は、あっという間に過ぎた。そして私の中で新たな課題が見えた。
それも、今日のお話で発見できた事。  本当に感謝です。


-----------試練を通じて人は成長する---------------------------------------------

人生を終えるときに、立派な人格者になった人もいれば、そうでない人もいる。
その違いは、人生を歩む中で、自らを磨き人格を高めることができたかどうか、
ということにあると私は考えている。

このことは、次のように例えることができる。

人間はこの世に生を受けたときは原石のようなものであり、
後天的に磨き上げることではじめて、光り輝く宝石のような、素晴らしい人格者になることができる。

では、どのようにして自分を磨いていくのか?

私は「試練」を経験することが、人間を大きく成長させてくれるチャンスになると
考えている。
実際、偉大なことを成し遂げた人で、試練に遭ったことがないという人はいない。

明治維新の功労者である西郷隆盛もそうだ。西郷は、子どものころは
「ウド」というあだ名の、目立たない子どもだったという。
ところが、後には勝海舟をはじめとする幕末の偉人たちを感嘆させたほどの人格者となり、
明治維新の偉業を成し遂げている。

この西郷は、人生において様々な試練に遭遇している。
例えば若いときには、親友であった僧月照とともに、鹿児島の錦江湾に身を投げ、
自分だけ蘇生するという経験をしている。
親友を逝かせてしまった西郷の心痛は物凄いものだろう。

また、遠島という不遇を二度も経験している。
特に二度目は、島津久光の逆鱗に触れ、鹿児島から遠く離れた沖永良部島に流され、
風雨が直接吹き込む狭い牢獄に閉じこめられるという悲惨な目に遭っている。

しかし、そのような逆境の中でも、西郷は東洋古典の耽読などを通じて、
自分を高める努力を怠ることはなかった。
苦難に耐え、むしろ苦労を糧として、人格を磨く努力をひたむきに続けた。

その後、許されて島を出た西郷は、高潔な人格と識見を備えた人物として、
人々の信望を集め、やがて明治維新の立役者となる。

この西郷の人生は、「試練」に遭遇したときに、どのように対処するかと
いうことが、いかに人生で大切なのかということをよく表している。

苦難に直面したときに、打ち負かされて夢をあきらめてしまったり、いい加減なところで
妥協をしてしまったりするのか、それとも西郷のように、苦労を苦労と思わず、ひたむきに
努力を重ねることができるのか、ここに人間的に成長できるかどうか、その分岐点がある。

私は、その「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと思う。
人間にとって成功さえも試練だろう。

例えば、仕事で大成功を収め、地位や名声、財産を獲得したとする。

人はそれを見て、「なんと素晴らしい人生だろう」とうらやむことだろう。
ところが実は、それさえも天が与えた厳しい「試練」だと思う。

成功した結果、地位に雛り、名声に酔い、財に渤れ、努力を息るようになっていくのか、
それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、
その後の人生は、天と地ほどに変わってしまう。

つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試している。

いわば人生は、大小様々な苦難や成功の連続であり、そのいずれもが「試練」

そして、私たちの人生は、その人生で織りなす「試練」を、
どのように受け止めるかによって大きく変貌していく。

私たちは、苦難あるいは成功、そのいずれの「試練」に遭遇しても、決して自らを
見失わないようにしなければならない。

つまり、苦難に対しては真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。
また、成功に対しては謙虚にして矯らず、さらに真摯に努力を重ねる。

そのように日々たゆまぬ研鑽に励むことによってのみ、人間は大きく成長していくこと
ができる。

私は、現代の混迷した社会を思うとき、私たち一人ひとりが、どのような環境に置かれようとも、自らを磨き、人格を高めようとひたむきに努力し続けることが、一見迂遠に思えても、結局は社会をよりよいものにしていくと信じている。



苦難に対しては真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。
また成功に対しては謙虚にして騎らず、さらに真摯に努力を重ねる。
そのように日々たゆまぬ研鎖に励むことによつてのみ、人間は大きく成長して
いくことができる。



理屈を述べたり、理想を語るのは誰でも出来る。
実際に、日々の生活の中で、実行動にするのが難しい。
だからこそやらなければならない。

己との戦いだ。


さあ、頑張ろう!


このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009.03.11 23:26 | | # [edit]
はじめまして。こんにちは。
なにが有ったのか分かんないけど、頑張って!!カネか、女かな?
他の人達はみんな、かっこいいように見えるけど、じつはかっこ悪い時や、かっこ悪い出来事ばっかり。どんな大きな会社だって、小さな商店だって同じ気がする。商売ってそんなもん。小瀧さんがゆうとうり、まじめに自分との戦い。実際に行動するのはホント大変。もっと気楽に頑張って。応援しています! いい心っていうか、考えに感動しました。
2009.03.13 13:34 | URL | 13日の金曜日 #- [edit]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009.03.13 15:35 | | # [edit]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009.03.14 11:06 | | # [edit]
おーい!
大丈夫か~い?
2009.03.16 20:45 | URL | No Name #- [edit]
皆様、あたたかなコメント誠に有難う御座います。

読み直して気付いたのですが、皆様に心配をお掛けするような文章を書き、
ご心配をお掛けし、大変申し訳ありませんでした。

13日の金曜日さんがおっしゃる通り、気楽に頑張ります!

本当に有難う御座います。
2009.03.17 20:45 | URL | 小瀧 #- [edit]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009.03.28 09:21 | | # [edit]


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